駅のノスタルジー

無意味で良いじゃん、無意味であることこそが大事だ、みたいな、意味に全振りしたスタンスを音楽に持ち込んだものはあまり聴かない(こと音楽に関してそういうものはどうしても良いと感じない)。つまりVaporwaveみたいな音楽のことだが、それと近い(と言われる)Lofi hip hopと称されるジャンルのものはたまに聴く。そのうちの一つがIdealismだ。なんとも言えないチルさがたまに聴きたくなる感じで、作業するときとかに丁度良い。

 

彼のホームページによれば、彼はフィンランド人だ。だが曲名が日本語だったり、日本の環境音をサンプリングしたりしていて、やっぱり日本はこういう使い方をされることが多いな、と感じる。

彼は、日本の駅の改札機の音とか、切符販売機の案内音声をそのまま使う。日本人には非常に馴染み深い声が突然聴こえてくる。そこで、音楽自体とは別にノスタルジックな感じがやって来る。これは駅を日常的に利用する者だけが感じる、極めて日本人的なノスタルジーであると思う。彼は、なぜこの音をサンプリングしようと考えたのか。

 

少なくとも自分の知る限り、アメリカやヨーロッパの駅には日本のような音声案内はない。電車が来るときのアナウンスがある程度のところがほとんどだ。一つ考えられるのは、だからこそ日本独自の音声案内に魅力を感じた、ということ。しかしだとすれば、このサンプリングが彼にとってノスタルジックたり得るかわからない。

もし彼が日本に住んでいたことがあり、この音を聞くたびに日本を思い出すなら、それはまさしくノスタルジーを地で行くものと言えようが、本当のところはわからない。

 

少なくとも自分にとって、駅に感じるノスタルジーは、彼のビートを聴く前から存在していた。夜、人と別れてから一人で電車を待つとき、誰もがなんとも言えない気持ちになったことがあるのではないだろうか。

彼がそういう類のものを共有していたのかはわからない。だが、電車に乗ることが極端に減った今、彼のビートは、過去に確かに感じた"なんとも言えなさ"を思い出させてくれるものである。

ちなみに個人的には、彼のビートに英語はおそろしく合わないと感じる(うるせえ!となる)。ビートが日本っぽい、というのは言い過ぎだが、何にせよ、こういう形の日本の好かれ方はこれからも残っていってほしい。

 

 

フリーな衝動に身を任せてみる

突然涼しくて気持ちいい日がやってきた。この独特の涼しさの匂いで、またそういう季節になったことを実感する(これは匂いではないかもしれない。もしくは匂いだけではないかもしれない。でもなんか匂いっぽいなとずっと思っている「感じ」だ)。決まって物悲しさも一緒にやってきて、考え事をするのに向いている時期だと思う。何か食べるとこの物悲しさが消えてしまうなと思うから、食べるということから遠ざかる時期でもある。

 

ジャズが好きなのでよく聴く。

ジャズは内なるエネルギーを飼い慣らして演奏に昇華させる、理性的な音楽である。これが好きなのだ。調和していて美しいし、調和させないという調和も醍醐味だ。ジャズは歴史の中で色々な変化をしているが、結局そういうものの積み重ねだと思う。ちなみに今くらいの時期はジャズが本当に合う。

 

だが、たまに、ウワーという気持ちになって、ジャズなんて聴きたくない!という風になる。理性的なものなんて実際クソだから、仕方ない。

そうして逆にクラシックに切り替えてみたり、普段から聴いているその他の音楽を聴くことも多いが、その中でもたまに、フリージャズを聴くことがある。

 

とりわけ好きなのはアルバートアイラーの『My Name Is Albert Ayler』というアルバム。最初の曲であるBye Bye Blackbirdは他の天才ミュージシャンが演奏すれば名曲になるスタンダードだ。しかしアイラーの手に掛かれば、泣いているような(鳴いているような)演奏になる。音色も汚いといえば汚いし、ジャズにおける最高のアルバムは?と聴いて挙げられたら納得するようなものではない(ちなみにこのアルバムのベーシストはペデルセンなのだが、なぜアイラーが彼を選んだのか不思議といえば不思議だ)。

でも、自分はこの演奏を良いと感じる。こういう頭のネジの外れた演奏も良い。ある文脈の中で美しくある音は、他の文脈でも常に美しいわけではない。当たり前だが、〜な音楽が良いという絶対的な法則はなく、ただ良い音楽は良いという事実しかいうことができない(余談だが、月ノ美兎が配信で似たようなことを言っていたのが印象に残っている。サブカル的な良さもこういう素朴な価値観によって担保されている面がある)。

 

感情的なものを感情的なまま出すのは、過激な試みだ。そして、そういう剥き出しのエネルギーは、まとまりがないので理性化されたエネルギーよりも弱い力しか持たないと思う。それでも、感情的になってみるのはそんなに悪いことではない。もちろんフリージャズというのはそれが演奏である以上、本当に完全に感情的になってはできないだろうが、頭のネジが数本外れる程度の狂気さえ見せずに平気な顔して生きていられる人間なんて果たしてどれだけいるのだろうか?

街中を歩いているときに笑いたいと思ったら、笑ってみれば良い。周りがどんな目で見るかは知らないが、その中で誰か1人にでも面白いと思われれば勝ちだし、誰も面白いと思わなくても自分が満足すれば勝ちだ。一度、自分の狂気と正直に向き合ってみてほしい。そして、街中で突然笑い出してみてほしいのだ。僕はやりませんが。

 

あふれかえった本をどうするか

最近は(結構前から?)noteがすっかり流行って、はてブはオワコンになりつつあったりするんだろうか。インターネットとともに育った日陰人間としては流行り廃りのサイクルが早いのもなんか寂しい。その割に自分が生まれる前に始まったエヴァとかは今でも根強い人気があったりする。不思議ではないが、残らなくても別に困らないようなものもなんだかんだ残るような、余裕のある社会であってほしい。

 

最近、本棚がいっぱいになって本が床に山積みになっている。それほど読まない本は自炊し、いつでも参照できるようにして売ってしまうか(このためにNAS構築まで真剣に考えた)、あるいは本棚を増やすか。自分の中で答えが出ているような、出ていないような、微妙な状態でまる一日悩んだ(ということはまったく答えは出ていないということになる)。

最近読んだ千葉雅也の『勉強の哲学』は、本は紙でなければいけないという(※余談だが、この本で引用されている小笠原鳥類の詩が良くて印象に残っている。こういうところのチョイス、流石と思った)。紙の本はネットで出されたものと違って容易に修正がきかないから、よりしっかり作られる可能性が高いと。

なるほど、それはもっともだ。では、紙の本をスペース削減のためスキャンし、データにして「コンパクト」にするのはどうだろう。これはミニマリズムというやつになるだろう。生活の効率化を図り、「必要なもの」のみで生きるライフスタイル。

自分にはものが少ない方が好きな一面があると思う。まず第一に、考えることが少なくてよい。スティージョブズのファッションが毎日同じなのもミニマリズムの一つといえる。特に見てくれに関することに疎い自分は、ファッションについてはこれと決めたベストな組み合わせをずっと使用し続けることに惹かれる。楽そうだし。

 

だが、それでいいのだろうか。ミニマリズムで想定される「必要」は、本当に自分にとっての「必要」を満たしているのか。

これは素朴な認識に端を発する実にシンプルな疑問だ。例えばこうして文字を打っているということを「文字を打つ」と表現すれば、そこからは無限ともいえる量の情報が切り落とされているように感じる。いつどこで、誰が、何を使って、何に打っているのか。そういうことを考えるだけでも、事実と文章には相当な情報量の差があるのがわかる。自分の目的に合わせて、必要な情報を文に盛り込むのだ。

同じことが生活の様式にもいえる。ミニマリズムで色々なものを「不必要」と切り落とすことは、自分にとって許容できない大切なものを生活から奪ってしまっていないか。紙の本がデータになることで自分にとって失いたくない何かが失われるのではないか。悩みの種となっているのはつまりこういうことである。

 

実は、ここまでくれば自分の中でもう答えは大体出ている。以前にも自分はミニマルを好むか、マキシマルを好むかということについて考えたことがあったからだ。そのときも、マキシマルを好むしか、自分にはありえないのではないか、という結論にたどり着いた。

したがって今回も、紙の本のままで保存し、本棚を増やすのだろう。上で問いかけたように、紙の本がデータになることは、本というものから自分にとって大切なものをなくしてしまうことであるように思えるからだ。

別に唯一これ、という失われる何かを想定しているわけではない。だが、もし「不必要」な本をデータにしてしまえば、例えば神保町の本屋にふらふらと立ち寄って、探していたわけでもない本をなんとなく買う、ということは減ってしまうと思う。そうなれば、誰かの偏執的な書き込みに出会うこともなくなれば、本の古さからその歴史に思いを馳せることもなくなってしまう。それがたとえなんでもないような本でも、本を選び、買って帰り、胸を躍らせながら読むというのが好きなのだ。読み終わったそれを本棚にしまい、ある日また引っ張り出して読めば、そこには本の内容だけではなく、自分がそのとき何を考えていたのか、というような記憶まで保管されている。そういう素晴らしいことを、スペース省略のために失うのは、自分にはコストがやや大きすぎるように思われる。

 

そういうわけで、結局のところ自分はやっぱりミニマルな生活に向いていないということがわかってくる。この問題に直面したときに、悩みながらも答えが出ているような気がしたのはこのためだった。自分はマキシマルな生活から絶対不可欠とはいえない「良さ」を捨ててミニマルに生きることができるか、という以前にも考えた問いに置き換えてしまえば、答えはすでに出していたということだ。また似たような問題に直面したときのため、生き方の大まかな方向性を決めておくということは役に立つように思う。

ただ、ファッションに関しては本当にわからない。そこに素晴らしい世界が広がっているであろうことは知っている。いつかその世界にも足を踏み出せれば、きっとマキシマルな選択をせざるを得なくなるのかもしれない。必要でなければ残さなくていいという考えは、自分には向いていないようだ。いつまでもそういう余裕をもって生きていきたい。

言葉遊び

‪本当にこの小さい紙を舌に乗せるだけで俺の人生は変わってしまうのだろうか?という問いは、この紙が俺の人生を変えてしまうかもしれないという恐れと表裏一体で、それは今までの人生そのものでもある。恐れは問いによってこそ表出してくるし、問いも恐れなしでは表出してこない。それはすでにそこにある混沌から自分で必要なものを抜き出してくること。「これは、無数にある自分の人生を説明する方法のうちの一つでしかないかもしれない。」ただ俺は恐れと問いの相互実存的な関係に自分を一旦収束させ、この奇妙な紙を舌に乗せることでそこから再び自分を発散させていきたい。今こうしている間にも自分は流動しているから、言葉は意味をこぼれ落とし続け、また蓄え続けている。この言葉は、抽象でしかない自分以外と同じで、究極の具体である自分を説明しきることはない。言葉でうまく説明できないとき、言葉のルールに無理に従う必要はない。どうせ、その言葉によってさえ出来事を説明しきることはできない。そしてそういう世界でこれからも生きていきたい。もしこの紙のせいで世界が変わってしまったとき、このメモをフラットかつベーシックな思考に立ち帰る手がかりとしてほしい。何も本質ではないが、同時にミクロな悦びこそ本質であり、時間とは優しさであるべきということを忘れないこと。

2/8 部室

 祭に来た。二階建ての日本家屋風の建物だ。私は一階にあった多目的トイレにこもり、ホテルのドアについているような覗き窓を見ながら、なにかが来るのを待っている。

 時折誰かがやってくる。覗き窓はとても見づらい。私はなんとかそれらをやりすごした。トイレに持ち込んだものを、やってくるなにかに渡さなければいけない。来なかったが。

 

 趣味の合う友人たちがいる。心からの友というほどではないが、自分のペースで接することができていたかもしれない。

 彼らは祭に来ている。私はトイレを出る。彼らは私と会話をすることも、私の姿を見ることもなかったはずだ。だが彼らは私がこの場にいることを知っている。私も彼らがいることをわかっている。見てはいないが。

 

 私が戻ると、トイレのあるあたりはすでに鍵がかかり入れなくなっている。

 友人たちは私がなにかに渡そうとしたものをあらかじめ外に出しておいてくれたようだ。何かを食べながら締まった扉の前で待っている。私もそれをもらい、食べながら帰る。

 

 建物の一階にいたはずだが、日本家屋風の階段を降りる。

 祭に来ていた友人たちは、すれ違う人みんなと声を掛け合っている。浴衣のひとや金髪のひとなど、いろいろな人と友達になっていた。

 

 特に示し合わせなどはなかったが、集合写真を撮るらしい。外は洋風で、石畳が敷かれている。

 友人たちは輪に加わる。トイレにこもっていた私はどうすればいいかわからない。

 口いっぱいに詰め込んだままの何かを飲み込めないまま、咀嚼しつつ集団の中をうろつく。友人たちの姿は見えない。

 

 どこにも行けない。気持ち悪いような気がする。

 詰め込んだものをオエッといいながら手でおさえる。きっと気持ち悪くはない。フリだ。したがってこの苦しみは、この次元においては本物ではありえない。

 自分に見向きする人間は当然いない。耐えられなくなり、トイレへ駆け込む。

 

 口の中の何かをすべて洗面台に出す。

 息をついていると、自分の姿が鏡に映っているのに気づく。気持ち悪く、本当に自分なのかはわからないと思っている。

 ニヤリと笑ってみると、鏡はそれを反映した。なんか文章にしたらいい感じになる気がする。ならないが。

 

ドラムでメロディを演奏する

打楽器の打楽器性とはなにか。音程がないこと、メロディを奏でることを目的としていないこと、メロディ楽器に輪郭をつけることなど、様々な言い方をすることができる。

実際にはピアノやビブラフォンも打楽器であるため、打楽器という分類では上のような説明は正しくないといえるが、ドラムのスネアやシンバルなどを想像したとき、この説明はまさしく正しい。今回はドラム(セットに限らない)に絞って話を進める。

 

ドラムは本来、明確に音程を持たない噪音を出す楽器である。噪音広辞苑第六版には、「非楽音に同じ」とある。そこで非楽音を調べると、「振動が不規則であったり、きわめて短時間しか継続しなかったり、振動の変化が急速であったりして、特定の温厚を定められない音」と記述されている。これはまさしくドラムをはじめとする打楽器が出す音だ。

先にも述べた通り、ドラムにはさまざまな役割がある。メロディ楽器のリズムに輪郭をつけたり、ダイナミクスをつけたり、空間を演出したりなど、ドラムひとつとっても目的によってアプローチがかなり変わる。

ベイビードッズの演奏は、メロディ楽器にリズムをつけている良い例だ。


BABY DODDS - "At The Jazz Band Ball"

 

これがスイング時代になると、ダイナミクスもより重視されてくる。ときにブラシを使ったり、管楽器に対して合図出しをする役割も持つ。


Duke Ellington, "Take the A Train"

 

ポールモチアンは上記のような役割に加え、空間の演出も意識しているような演奏だ。空間はダイナミクスの延長ともいえるので、妥当な進化だ。


Paul Motian Trio ~ Body And Soul

 

このように、ドラムは基本的にフロントの伴奏として色々なアプローチができるようになっているが、これらはすべて、ドラムの噪音を用いたものである。タイコは倍音が多すぎて、普通にチューニングするようでは明確な音程を得られない。

だが21世紀になって、こうした打楽器の打楽器性を打破しようとするドラマーが現れた。それがニューヨークを中心に活動するAri Honig(アリホーニグ)だ。

この動画ではMoanin'のテーマのメロディをドラムで演奏し、ソロもとっている。


Ari Hoenig at GWU, Moanin

 

弾き語りではなく叩き語り。


Ari Hoenig - This Little Light of Mine (solo)

 

メロディを奏でることを想定していない打楽器を用いているため、ピッチはかなり微妙だが、たしかにメロディを演奏している。ドラマーには越えられないと思われた壁を越えているのである。レッスン動画では実際にスケールにのっとってソロを演奏したりもしている。

初めてアリホーニグの存在を知ったときは興奮した。ドラマーが考えても実際にはできないことを彼は実行しているのだ。全体で見ればイロモノのパフォーマンスのようなものだが、理論上はドラムもフロントやピアノ、ベースと同じようなソロが取れるという事実は大きい。

 

だがこのような発想自体は、素人でも思いつきそうなものだ。実際に正確なピッチを出すことの困難さから誰も形にしなかったのだろうが、その片鱗くらいはアリホーニグ以前のドラマーにみられてもおかしくないのではないか。そして見つけたものがこちらである。

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これはエルビンジョーンズとリチャードデイビスが1967年に出した『Heavy Sounds』というアルバムだ。

4曲目に収録されているSummertimeは、エルビンとリチャードのデュオとなっている。リチャードのおどろおどろしいアルコに耳を奪われるが、エルビンのマレットによる伴奏にも注目していただきたい。

マレットでドラムを叩く場合、スティックで叩くよりもアタック音が出ないため、より音程がはっきりとする。そのため、これだけ空間がスカスカのソロ裏でマレットを用いてバッキングするなら、タイコのピッチがおかしいと変に聴こえてしまう。エルビンは、楽曲のメロディに合わせて、適切な音程を意識してチューニングをした可能性が高い。以下の記事にも、エルビンがメロディを意識して繊細なチューニングをしていたことが書かれている。

flophousemagazine.com

したがって、テーマやソロを実際にとることでアイデアを形にしたのはアリホーニグが初めてだが、その50年ほど前から、本来は噪音を出すためのドラムに関してピッチを意識したアプローチがされていたことがわかった。ちなみにこれ以前だと、テーマのフレーズを意識したソロなどは多く演奏されているが、メロディの音程に沿ったアプローチは見つからなかった。

エルビンはThe Drum Thingという曲でも、ドラムにしてはメロディアスな演奏をしている。バッキングやソロのアプローチといい、シンバルサウンドといい、かなり先見性のあるドラマーであり、同時に後のどんなドラマーも真似できないスタイルを持っていたといえる。

 

余談だが、日本でもドラムでメロディを演奏するという発想の片鱗をみせたドラマーはいる。音楽的にも非常に良い作品であるため、この場で紹介しておく。

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The Dialogue - 猪俣猛 より、The Dialogue with Flute

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Liquid Blue - ケイ赤城トリオ より、Winter Light

 

【追記】

私が最も尊敬するポールモチアンが似たようなことをやっているのを見つけたので貼っておきます。

https://youtu.be/u9dcb6tijuo

 

【さらに追記】

ジャックディジョネットもキースのアルバム "Always Let Me Go" に収録の "Facing East" でメロディを演奏していますね。

最も死に迫った音楽

今回取り上げるのは、1982 年に録音され、2002 年にウィリアム・ バシンスキー William Basinski によって発表された≪The Disintegration Loops≫というアルバム作品である。

本作はアルバムではあるが、「Dlp 1.1」と「Dlp 2.1」の二曲という少ない曲数から構成されている。それぞれ「Dlp 1.1」は 1 時間 3 分 36 秒、「Dlp 2.1」は 10 分 50 秒の楽曲であるが、「Dlp 2.1」はアルバムのコンセプトとは必ずしも合致しないものであるため、今回は「Dlp 1.1」について記述する。

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「死」に関する音楽がどのようなものであるかということを一概に説明することはできない。たとえばレクイエムは、日本語の鎮魂歌という訳のとおり、死者を弔うための音楽である。その意味で、レクイエムは死者に寄り添う音楽であるといえる。 同じく死を題材としたオペラは、死によって引き離される人々の物語を芸術にまで昇華させたものである。これらのオペラで演奏される音楽は、死を利用した音楽であるといえる。

またその他の例として、LSD などの覚醒剤を使用することで起こる、いわゆるトリップ状態を音楽によって表現しようとした、サイケデリックロックやサイケデリックフォークという音楽ジャンルは、退廃的で死を想起させる音楽である。1960 年代から始まっ たサイケデリックブームは、ビートルズやジェファーソンエアプレイン、ピンクフロイドといった世界的に有名なグループから、カンやアモンデュ―ルなどドイツのクラウトロックシーン、クロマニオンやヘッドショップなどアメリカのアンダーグラウンドシーンにまで広く浸透し、ヒッピー文化とともに発展した。薬物という退廃的かつ本能的なものに注目し、芸術という形に発展させたサイケデリックミュージックは、人間が自らの身を滅ぼしてまで快楽を求めるという思想の象徴であり、死と深く結びついている。

そして今回分析する≪The Disintegration Loops≫は、上に挙げた例とは異なる形で死を取り扱った作品である。たとえばレクイエムは、死者のために作られた音楽であり、死そのものを表現したものではない。同じ理由で、死を題材としたオペラも, 死のなんたるかを表現しているとはいえない。またたとえLSD体験への願望を音楽という形にしたとしても、それはあくまで人間の自己破壊的な欲求を表現したものであり、死そのものに差し迫ったものとはいえない。

それに対して本作は、死という破滅をきわめて直接的に表現し、さらに表現の域にとどまらず、死そのものに迫ったものである。

本作品は非常に単純なつくりをしている。20 秒にも満たない短いフレーズをひたすら繰り返したものであり、スティーブ・ライヒなどが創始したミニマルミュージックに強い影響を受けている。やがてそのフレーズが繰り返されていくうちに、だんだんとノイズが混じるようになる。さらに聴き進めていくと、フレーズ自体がかすれて聞こえるようになってくる。フレーズのメロディはもともとぼんやりとしたものであるが、曲の終わりのほうではそれも途切れるようになってほとんど聞こえなくなり、打楽器の音だけがはっきりと聞こえる状態のままフェードアウトしていく。

 

まずこの曲のミニマルミュージックやアンビエントミュージック的な要素について考察する。ミニマルミュージックとは一言でいえば、短いフレーズの反復によって構築される音楽である。しかし、ただ短いフレーズを繰り返すだけでは、一般にいうミニマルミュージックにはならない。

ライヒは自身が発展させたミニマルミュージックについて、自身の著作の中で以下のように述べている。「ジョン・ケージは過程を用い、またたしかにその結果を受け入れたが、彼が用いたその過程とは、演奏された際にそのピースを聴くことができないものであった。*1

またこのライヒの記述に対して、篠田大基は以下のように述べている。「(ライヒは)作曲プロセスが作品体験を通じて知覚されねばならないと主張し、プロセスの聴取が困難なジョン・ケージの偶然性の音楽を批判した。ケージは作曲家による音楽の統御を放棄するために偶然性を導入したが、聴衆の側からは、音の生起が偶然によるのか、特定の意図に基づくのかを判断できない。そのため偶然性の音楽にも聴衆の恣意的な解釈によるイリュージョニスティックな誤解の危険性が付きまとう。この批判により、ライヒは音楽における『ミニマリズム』の基本理念を示したといえる。*2

すなわちミニマルミュージックとは、聴く際にその音楽が構築される過程がはっきりとわかるということを想定して作られなければならない。最終的にできる音楽よりも、その音楽が作られる過程を音楽のなかで示すことが重要なのである。

このことを踏まえてバシンスキーの本作品を聴くと、彼がミニマルミュージックの重要な要素を踏襲していることがわかる。この曲はその短いフレーズが優れていることを示そうとするものではなく、ほとんど打楽器の音しか聞こえない曲の終わりのほうの状態を構築することを目的としているわけでもない。初めにフレーズがあり、それがだんだんと崩壊していき、最終的にほとんど原形をとどめていないフレーズになるという過程をすべて録音し、音楽にするということが目的なのである。

以上のような骨組みに加えて、音の像をはっきりさせないことで、ドローン・アンビエントミュージック的な要素をもたせている。本作品は、いわゆる現代音楽からの影響が緻密に反映されているのである。

 

次に録音技術的な面からこの曲について考察する。この点によって、本作品が死そのものに非常に迫っているものであるということができる。

実はこの曲におけるフレーズの崩壊は、バシンスキーが手を加えて行ったものではない。この曲が生まれたきっかけは、録音が 1982 年に行われ、2002 年にそれを発表しようとしたことにある。本作品について、バシンスキーは自身のホームページで、以下のように述べている。「The Disintegration Loops について:1982 年に録音したアナログテープのループを保存し、デジタル化する過程で、私は忘れていた、広大で牧歌的な素晴らしいピースをいくつか発見した。美しく、青々として映画的な、真のアメリカの牧歌的な景色が私の目や耳をなでた。これらのメロディと結びついているのは私の青年時代、失われた楽園、アメリカの牧歌的な景色、すべての紳士的かつ優雅で、美しい死であった。生と死、単に生の一部としての、宇宙の変化としての死はすべてここに録音されていた。*3

バシンスキーは 20 年ほど前に録音したテープを発見し、それをデジタル化して発表しようと考えた。しかしテープはすでに劣化していたため、デジタル化のため再収録する過程ですぐに傷み、最終的にはもとのループ音源とはかけ離れた、崩壊したものとなった。これにインスピレーションを受けたバシンスキーは、同時期に起こった9. 11同時多発テロを想起し、崩壊までのプロセスを音源として発表することにしたのである。

引用部分でバシンスキーが述べているように、本作品はテープループの反復によって生まれたフレーズの崩壊を、現実の死の概念にあてはめて表現している。たしかにフレーズがやがてその形を失い、とぎれとぎれになっていくさまは、死や崩壊などのイメージに合致する。この点で本作品は、死をテーマにした標題音楽としての体をなしているといえる。だが表現はあくまで表現であり、それがどれほど迫真的なものであっても、死そのものにはなりえない。

この曲に包含されている死は、単なる死の象徴にとどまらないものである。この曲は、使用されたテープ自体の死をそのまま音源にしたものといえるからだ。

人間における死の定義は、現代で議論されるテーマの一つである。心臓が完全に止まらなければ死んだとされないのか、脳の機能が停止すれば死んだとみなしてよいのかなどと議論されている理由は、何をもって生きた人間とするか、あるいは何をもって死んだ肉の塊とみなすかというように、死の定義も、その言葉を作った人間のアイデンティティも明確でないからである。

それに対してテープの死は明確である。人間が道具を生み出すとき、人間からすればそれらの道具には、アプリオリに期待される規範的機能が存在する。テープとして人間によって生み出されたものがすべきことは、音の収録や再生である。したがって録音、再生ができなくなったテープは、我々の規範的判断によってもはやテープとして機能していない=死んだとみなされる。テープ自体に死が意識されるというようなものではなく、我々の規範的目標におけるテープの死というものがこの作品を通して体現されるのである。

 

本作品は、音源の崩壊を通して、それを再生しているテープが傷み、テープとしての役割を終えるさま、すなわちテープの死そのものをそのまま内包しているといえる。この点で本作品は、単に死の象徴とみなされるものではなく、死そのものを音楽という形にしようと試みたものであり、したがって死にもっとも迫った音楽作品である。

*1:スティーブ・ライヒ「漸進的プロセスとしての音楽」, 『Audio Culture: Readings in Modern Music』, 1968 年, 304-306 頁, 引用は 305 頁, 訳は引用者による。

*2:篠田大基「スティーライヒの『プロセスとしての美術』とポストミニマリズムの美術 (第五十七回美学研究発表要旨)」, 『美學』, 57 号(2006), 67 頁, 引用も 67 頁。

*3:ウィリアム・バシンスキーウェブサイト「2062」, http://www.mmlxii.com/products/511719-the-disintegration-loops, 訳は引用者による, 2018 年 1 月 30 日閲覧。