最も死に迫った音楽

今回取り上げるのは、1982 年に録音され、2002 年にウィリアム・ バシンスキー William Basinski によって発表された≪The Disintegration Loops≫というアルバム作品である。

本作はアルバムではあるが、「Dlp 1.1」と「Dlp 2.1」の二曲という少ない曲数から構成されている。それぞれ「Dlp 1.1」は 1 時間 3 分 36 秒、「Dlp 2.1」は 10 分 50 秒の楽曲であるが、「Dlp 2.1」はアルバムのコンセプトとは必ずしも合致しないものであるため、今回は「Dlp 1.1」について記述する。

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「死」に関する音楽がどのようなものであるかということを一概に説明することはできない。たとえばレクイエムは、日本語の鎮魂歌という訳のとおり、死者を弔うための音楽である。その意味で、レクイエムは死者に寄り添う音楽であるといえる。 同じく死を題材としたオペラは、死によって引き離される人々の物語を芸術にまで昇華させたものである。これらのオペラで演奏される音楽は、死を利用した音楽であるといえる。

またその他の例として、LSD などの覚醒剤を使用することで起こる、いわゆるトリップ状態を音楽によって表現しようとした、サイケデリックロックやサイケデリックフォークという音楽ジャンルは、退廃的で死を想起させる音楽である。1960 年代から始まっ たサイケデリックブームは、ビートルズやジェファーソンエアプレイン、ピンクフロイドといった世界的に有名なグループから、カンやアモンデュ―ルなどドイツのクラウトロックシーン、クロマニオンやヘッドショップなどアメリカのアンダーグラウンドシーンにまで広く浸透し、ヒッピー文化とともに発展した。薬物という退廃的かつ本能的なものに注目し、芸術という形に発展させたサイケデリックミュージックは、人間が自らの身を滅ぼしてまで快楽を求めるという思想の象徴であり、死と深く結びついている。

そして今回分析する≪The Disintegration Loops≫は、上に挙げた例とは異なる形で死を取り扱った作品である。たとえばレクイエムは、死者のために作られた音楽であり、死そのものを表現したものではない。同じ理由で、死を題材としたオペラも, 死のなんたるかを表現しているとはいえない。またたとえLSD体験への願望を音楽という形にしたとしても、それはあくまで人間の自己破壊的な欲求を表現したものであり、死そのものに差し迫ったものとはいえない。

それに対して本作は、死という破滅をきわめて直接的に表現し、さらに表現の域にとどまらず、死そのものに迫ったものである。

本作品は非常に単純なつくりをしている。20 秒にも満たない短いフレーズをひたすら繰り返したものであり、スティーブ・ライヒなどが創始したミニマルミュージックに強い影響を受けている。やがてそのフレーズが繰り返されていくうちに、だんだんとノイズが混じるようになる。さらに聴き進めていくと、フレーズ自体がかすれて聞こえるようになってくる。フレーズのメロディはもともとぼんやりとしたものであるが、曲の終わりのほうではそれも途切れるようになってほとんど聞こえなくなり、打楽器の音だけがはっきりと聞こえる状態のままフェードアウトしていく。

 

まずこの曲のミニマルミュージックやアンビエントミュージック的な要素について考察する。ミニマルミュージックとは一言でいえば、短いフレーズの反復によって構築される音楽である。しかし、ただ短いフレーズを繰り返すだけでは、一般にいうミニマルミュージックにはならない。

ライヒは自身が発展させたミニマルミュージックについて、自身の著作の中で以下のように述べている。「ジョン・ケージは過程を用い、またたしかにその結果を受け入れたが、彼が用いたその過程とは、演奏された際にそのピースを聴くことができないものであった。*1

またこのライヒの記述に対して、篠田大基は以下のように述べている。「(ライヒは)作曲プロセスが作品体験を通じて知覚されねばならないと主張し、プロセスの聴取が困難なジョン・ケージの偶然性の音楽を批判した。ケージは作曲家による音楽の統御を放棄するために偶然性を導入したが、聴衆の側からは、音の生起が偶然によるのか、特定の意図に基づくのかを判断できない。そのため偶然性の音楽にも聴衆の恣意的な解釈によるイリュージョニスティックな誤解の危険性が付きまとう。この批判により、ライヒは音楽における『ミニマリズム』の基本理念を示したといえる。*2

すなわちミニマルミュージックとは、聴く際にその音楽が構築される過程がはっきりとわかるということを想定して作られなければならない。最終的にできる音楽よりも、その音楽が作られる過程を音楽のなかで示すことが重要なのである。

このことを踏まえてバシンスキーの本作品を聴くと、彼がミニマルミュージックの重要な要素を踏襲していることがわかる。この曲はその短いフレーズが優れていることを示そうとするものではなく、ほとんど打楽器の音しか聞こえない曲の終わりのほうの状態を構築することを目的としているわけでもない。初めにフレーズがあり、それがだんだんと崩壊していき、最終的にほとんど原形をとどめていないフレーズになるという過程をすべて録音し、音楽にするということが目的なのである。

以上のような骨組みに加えて、音の像をはっきりさせないことで、ドローン・アンビエントミュージック的な要素をもたせている。本作品は、いわゆる現代音楽からの影響が緻密に反映されているのである。

 

次に録音技術的な面からこの曲について考察する。この点によって、本作品が死そのものに非常に迫っているものであるということができる。

実はこの曲におけるフレーズの崩壊は、バシンスキーが手を加えて行ったものではない。この曲が生まれたきっかけは、録音が 1982 年に行われ、2002 年にそれを発表しようとしたことにある。本作品について、バシンスキーは自身のホームページで、以下のように述べている。「The Disintegration Loops について:1982 年に録音したアナログテープのループを保存し、デジタル化する過程で、私は忘れていた、広大で牧歌的な素晴らしいピースをいくつか発見した。美しく、青々として映画的な、真のアメリカの牧歌的な景色が私の目や耳をなでた。これらのメロディと結びついているのは私の青年時代、失われた楽園、アメリカの牧歌的な景色、すべての紳士的かつ優雅で、美しい死であった。生と死、単に生の一部としての、宇宙の変化としての死はすべてここに録音されていた。*3

バシンスキーは 20 年ほど前に録音したテープを発見し、それをデジタル化して発表しようと考えた。しかしテープはすでに劣化していたため、デジタル化のため再収録する過程ですぐに傷み、最終的にはもとのループ音源とはかけ離れた、崩壊したものとなった。これにインスピレーションを受けたバシンスキーは、同時期に起こった9. 11同時多発テロを想起し、崩壊までのプロセスを音源として発表することにしたのである。

引用部分でバシンスキーが述べているように、本作品はテープループの反復によって生まれたフレーズの崩壊を、現実の死の概念にあてはめて表現している。たしかにフレーズがやがてその形を失い、とぎれとぎれになっていくさまは、死や崩壊などのイメージに合致する。この点で本作品は、死をテーマにした標題音楽としての体をなしているといえる。だが表現はあくまで表現であり、それがどれほど迫真的なものであっても、死そのものにはなりえない。

この曲に包含されている死は、単なる死の象徴にとどまらないものである。この曲は、使用されたテープ自体の死をそのまま音源にしたものといえるからだ。

人間における死の定義は、現代で議論されるテーマの一つである。心臓が完全に止まらなければ死んだとされないのか、脳の機能が停止すれば死んだとみなしてよいのかなどと議論されている理由は、何をもって生きた人間とするか、あるいは何をもって死んだ肉の塊とみなすかというように、死の定義も、その言葉を作った人間のアイデンティティも明確でないからである。

それに対してテープの死は明確である。人間が道具を生み出すとき、人間からすればそれらの道具には、アプリオリに期待される規範的機能が存在する。テープとして人間によって生み出されたものがすべきことは、音の収録や再生である。したがって録音、再生ができなくなったテープは、我々の規範的判断によってもはやテープとして機能していない=死んだとみなされる。テープ自体に死が意識されるというようなものではなく、我々の規範的目標におけるテープの死というものがこの作品を通して体現されるのである。

 

本作品は、音源の崩壊を通して、それを再生しているテープが傷み、テープとしての役割を終えるさま、すなわちテープの死そのものをそのまま内包しているといえる。この点で本作品は、単に死の象徴とみなされるものではなく、死そのものを音楽という形にしようと試みたものであり、したがって死にもっとも迫った音楽作品である。

*1:スティーブ・ライヒ「漸進的プロセスとしての音楽」, 『Audio Culture: Readings in Modern Music』, 1968 年, 304-306 頁, 引用は 305 頁, 訳は引用者による。

*2:篠田大基「スティーライヒの『プロセスとしての美術』とポストミニマリズムの美術 (第五十七回美学研究発表要旨)」, 『美學』, 57 号(2006), 67 頁, 引用も 67 頁。

*3:ウィリアム・バシンスキーウェブサイト「2062」, http://www.mmlxii.com/products/511719-the-disintegration-loops, 訳は引用者による, 2018 年 1 月 30 日閲覧。