否定(3)

 シュミットと三木の思想には、多くの共通点を見出すことができる。一方で我々は、両者の間に決定的な差異が存在していることもまた確認することになる。

 まず両者は、敵の規定を思想の根底に置いているという点で共通している。シュミットの狙いは言うまでもなく、具体的な対立状況において、敵を、その存在そのものを否定し得る対象として見据えることであった。他方で三木にとっても、歴史的な断絶の意識が過去ないし未来の時間区分とそこにおいてある他なる思想に対し敵対することが、思想の生成のための不可欠な要素であった。現実における対立の状況に注目しつつ議論を展開したという点で、三木とシュミットの姿勢は一致する。

 またこうした敵の規定を軸に据えつつも、両者の思想の背後には、その規定があくまで相対的なものであるという真理に対する了解が存在する。ある位置から敵を規定することができるということは、他の位置から、そのある位置を敵と規定することもまた可能ということである。ある位置が依って立つ具体的な敵の規定は、多のうちの一に過ぎず、何ら特殊なものではないのである。このことはまた、主体がその内に複数の敵の規定可能性を持ち、それゆえ複数の位置を占めることも可能であることを含意する。

 両者の思想に見出されたこれら二つの性質は、「政治的なもの」の本質を構成する。事実、『政治的なものの概念』でこれらの性質は、自由主義・普遍主義的な絶対否定性を批判するものとして、表裏一体の形で語られた。したがって「政治的なもの」と絶対否定性は、本来相容れないものと考えられる。しかしながら三木においては、両者は矛盾しながらも両立していなければならないとされた。このことをどのように解すべきであろうか。

 三木が言うところの思想とは性格的なものであった。倫理的・政治的判断を意味する思想の性格は、『哲学入門』においては「道徳的真理」や「世界における真理」と言い換えられる。これに対置されるのが、「世界についての真理」すなわち理論である。かかる真理は「それ自体においてあるものの真理であり、人間から認識されると否とに拘らずそれ自身において存在する。」対して、道徳的真理は「人と人との間に起るものであり、従つて起らないこともあり得る」ために、「命令或ひは当為(ゾルレン)の形をとる*。」

 

* 同じ箇所で三木は、「しかし世界についての真理も世界における真理の問題と見られるとき我々に対して命令の意味をもつてくる」と述べている。ここには「危機意識の哲学的解明」でも見られた、理論が有する性格的要素についての見解が引き継がれている。こうした彼の認識は、『技術哲学』のアリストテレス解釈において実践(Praxis)を観想・理論(Theoria)と見做す態度とも一致する。一方でかかる見方に対しては、例えば安藤孝行による、実践とはそれ以外の仕方においてあることのできるような、道徳的生活を意味するものであり、これに対し見ることや考えることといった自足した観想的活動はそれ以外の仕方においてあることはないのであるから、両者を同一視することは理に適っていないとの批判がある。しかし「真理は表現的なものとして我々を行為に動かし、自己と世界とを実践的に変化させるものでなければならぬ」と述べられるように、少なくとも実践と観想の結合は、三木にとって彼自身とアリストテレスの重要な結節点であったと考えられる。思想において主体と客体が矛盾しながら両立していることが、真理を他様たり得るものにしていると解すこともできよう。

 

 ここで三木が注目しているのは、道徳的真理が取らなければならないレトリック的な戦略である。繰り返すように、彼の着眼は主体的な断絶の意識と、客体的存在との間に厳然と存在する溝にあった。この矛盾を内に含みながら、思想が他者ないし世界に対して働きかける実践的な役割を果たすためには、それが何ら普遍的絶対的でなく他様であり得ることを了解した上で、それでも普遍的であるかのように、つまり対立する思想など存在しないかのように打ち出されなければならない。それは主体的に把捉された事実を客体的存在に落とし込むために行われる運動である。そのため道徳的真理は、「~せよ」や「~べきである」といった命令や当為の形を取ることで、他者や世界に対し変容を促す。つまり、主体的事実と客体的存在は、互いに相容れないまま一つの思想の中に併存しているというまさにそのことによって、思想に実践的意味を持たせるのである*。

 

* 思想が実践的意義を有するためには、つまり有意味であるためには、その客体的側面は言明されてはならない。なぜなら、主体性と客体性を同一の言明の内に認めることは「(実際には)○○する必要はないが、○○すべきだ」と発話することに等しいのであり、それを主張する(behaupten)ことはそもそも不可能だからである。

 

 それでは我々は、シュミットが自由主義に対して持ったイメージのごとく、敵の存在を隠蔽し、一方的に蹂躙するという暴力的な世界に生きることを余儀なくされているのであろうか。そうであるとすれば、例えばある概念や規範が以前より多くの人に用いられ、また真理として承認されているという事態は、単により多くの人が強いられてしぶしぶそうしているに過ぎないと説明されることになろう。そして ”真に” ある概念や規範をより多くの人が承認するようになるか否かは、我々のあずかり知らぬところで決定されていると主張するほかなくなるであろう。三木によれば、そのように考えることは必ずしも正しくない。なぜなら、道徳的真理があくまで「人と人との間に起るもの」である以上、それは敵に対しても単に服従を強制するわけではないからである。

 

道徳的真理は人間の真理であるといつても、「人間」といふものの一般的本質が問題であるのではない。それは私がそれに従つて他のものに対する態度を作るべき人間一般の真の像といふが如きものでもない。道徳においては私自身の真理が問はれてゐるのである。(三木『哲学入門』)

 

もし何らかの崇高な理念や規範が目の前に提示されたとして、私がそれに従わなければならないのはなぜか。単に服従を強いる格率的な倫理*は、この問いに対する解を持たない。対して道徳的真理は、強制するのではなく、真実性をもって主体に呼び掛ける。それによって初めて主体は、道徳的真理に従うことを信念をもって決断することができるのである。このとき、呼び掛けた者と呼び掛けられた者との間に、新たに真理が生起する。「外から喚び起されることが内から喚び起されることであり、内から喚び起されることが外から喚び起されることであるところに、道徳がある」と言われるのは、このような呼び掛けと決断の表裏一体の関係を表しているのである**。

 

* この表現は、「倫理と人間」より借用している。同論文では、没人格的な社会的要求から生じる抽象的一般的な格率的倫理に対して、模範となる具体的人間が我々に呼び掛けることで生じる人間的倫理の重要性が強調される。命令と呼び掛けが明確に区別されていることなど、『哲学入門』との相違点が指摘できるが、ここに道徳的真理のもととなるアイデアを見て取ることができる。

** 呼び掛けが呼び掛けたり得るのは、道徳が単に現実に存在する他者との間にのみ成立するものではないからである。もしそうであれば、呼び掛けは単なる強制と区別することが困難になろう。呼び掛けの意義は、呼び掛ける者も呼び掛けられる者も、自らに対して呼び掛けるプロセスを必要とするところにある。「『汝為すべし』といふ道徳的命令は、私が私自身に対して汝と呼び掛けるのであり、そこに道徳の自律性がある。」自己が私であると同時に汝でもあり得るところに、道徳の客観性も生じてくる。つまり他者に対する命令や他者からの命令は、同時に自己の自己に対する命令を含意するのである。「批評は根本において自己批評でなくてはならぬ」という言葉も、この文脈のもと解せられる。とはいえ、かかる説明は「何ゆえ私が?」という根本的な問いに十分に答えているわけではない。それは我々に言語が突然与えられる理由を問うことができないのと同様である。無論、倫理の場合、誰かの行為に価値を感じて意図的にそれを習得することはあり得る。しかしその場合でも、自分でそれをなすときには、それは価値があるからといった何らかの理由でなされるのではなく、ただなされるのでなければならない。この意味で、我々は言語であれ倫理であれ、それらの「規則に盲目的に従う」(folge der Regel blind)。ここに「信」を有する主体の個別にして唯一の性格が顕わになるのである。

 

 以上を通じて三木が明らかにしたのは、「政治的なもの」における死闘の闘われ方である。「政治的なもの」はあくまで対立の強度を表すものであって、具体的な対立の内容には踏み込まない。しかし、対立そのものが骨格としての「政治的なもの」のみならず、血肉としての諸領域からも構成される以上、そもそも対立発生の契機が何であるかという点を無視することはできない。そしてそれは、危機意識から生じる思想に他ならない。したがって決断は、思想的確信を伴うことによって初めてなされ得るのである。我々が語を用いる際にも、危機意識がなす上述のようなレトリックは常についてまわる。闘争とは、対立相手に対する認識的優位を打ち出すことで、つまり自らの側こそが真理であり、それゆえ普遍的であると主張することで闘われるものなのである。そのために思想は、主体と客体の対立を内に含みながら、当為や命令の形を取って世界に呼び掛ける。そうすることで、敵さえもその真理の内に包摂し、敵対関係そのものを否定するのである。

 

 三木とシュミットの差異はいかなる点に見出されたか。両者はともに、敵の規定と、それに伴う自己否定性に注目した。そしてシュミットは、自己否定性と真っ向から対立する絶対否定性を批判した。しかしながら三木は、むしろこれらが矛盾しつつも併存している状況こそが対立の本質であると洞察したのであった。それはシュミットが問題としなかった、友-敵の対立における真理性・正しさをめぐる死闘のあり方を浮き彫りにするものと言えるであろう。

 このようにして三木の位置から照射された「政治的なもの」の枠組みは、自由主義に徹底して対立する姿勢を取ったシュミットの理論をも、友-敵の区別によって捉えることができる。シュミットは自らを「政治現象の観察者」と称し、彼の洞察が自由主義的観点から不道徳とかキニク主義であるとの批判を受けたとしても、一貫して自分の政治的思考、すなわち友-敵関係に対する視座を固守することによって、それをただ具体的に闘争する者の政治的手段として認識することができると述べる。ここで彼は、自らの「政治的なもの」の枠組みによって自由主義の欺瞞を暴露し、その真理性・正しさを主張しているのである。一方で、かかる認識の根底には、自己否定性が存在する。すなわちそれは、自由主義の側から提示される真理性・正しさによって打ち崩される可能性を孕んでいるのである。いわば「政治的なもの」とは、マイアーが「プラス-マイナスが逆になった自由主義」と表現したように、自由主義とその真理性・正しさをめぐって対立する友-敵関係の中に置かれているのである。

 かかる三木の洞察を、日本主義の勃興という背景を抜きにして語ることは、三木が当時感じていたはずの危機の切迫性を薄めることにしか繫がらないであろう。彼の位置において生じた断絶の意識によって、すなわち日本主義に対する絶対否定性によってこそ、その思想は実践的なものへと昇華したのである。

 シュミットが自由主義を批判したように、三木も、一方的に正当性を押し付けるイデオロギーのあり方に批判的であった。しかし三木は、シュミットとは異なり、端的に敵を否定するような態度にも賛同することができなかった。この点に関して自由主義と「政治的なもの」は、彼にとって同じ穴の狢であったと言えよう。羽仁五郎に宛てた書簡では、以下のように綴っている。

 

私はもともと “Stellungnahme〔注:態度決定〕” と云ふことが嫌ひである。それは多くの場合、あらゆる人間を「敵と味方」の二つに分つやうな、窮屈さと無理さとをもつてをる。それと同時にStellunghahmeほど容易なことはない。Stellungnahmeをするためには相手の考を十分に理解する必要はなく、ただそれをひとつのSchema〔注:型〕に押込みさへすればいいのである。(三木「書簡」)

 

 しかしながら三木は、我々が何等の対立もなくわかりあえるというような、楽観的な世界観を信奉したわけでもなかった。思想が真理性・正しさを獲得し、実践的意味を有するためには、絶対否定性と自己否定性の矛盾が生むレトリックが不可欠であることを、彼は深く理解していたのである。それは例えばライプニッツが示したような、「耕されていないところ、不毛なところ、生命のないところ」が一つもなく、混乱や混沌は見かけ上のものに過ぎないといった、美麗で完全な宇宙像とは相容れない。人間が全体を創造する視点に立つことができない有限な存在である以上、否定や対立は常に我々の前に立ち現れる。生きるとはつまるところ、死闘に身を置きながら、我々が歴史において占める位置から真理であるところのものを示すことなのだ。そして他ならぬ三木自身が、かようにアンビバレントな政治的生を生き、日本主義との対峙を通じて自らの思想を成熟させていったのである。