言葉遊び

‪本当にこの小さい紙を舌に乗せるだけで俺の人生は変わってしまうのだろうか?という問いは、この紙が俺の人生を変えてしまうかもしれないという恐れと表裏一体で、それは今までの人生そのものでもある。恐れは問いによってこそ表出してくるし、問いも恐れなしでは表出してこない。それはすでにそこにある混沌から自分で必要なものを抜き出してくること。「これは、無数にある自分の人生を説明する方法のうちの一つでしかないかもしれない。」ただ俺は恐れと問いの相互実存的な関係に自分を一旦収束させ、この奇妙な紙を舌に乗せることでそこから再び自分を発散させていきたい。今こうしている間にも自分は流動しているから、言葉は意味をこぼれ落とし続け、また蓄え続けている。この言葉は、抽象でしかない自分以外と同じで、究極の具体である自分を説明しきることはない。言葉でうまく説明できないとき、言葉のルールに無理に従う必要はない。どうせ、その言葉によってさえ出来事を説明しきることはできない。そしてそういう世界でこれからも生きていきたい。もしこの紙のせいで世界が変わってしまったとき、このメモをフラットかつベーシックな思考に立ち帰る手がかりとしてほしい。何も本質ではないが、同時にミクロな悦びこそ本質であり、時間とは優しさであるべきということを忘れないこと。