雪の降る日

地下室でぼくの頬をなでようとした

その傷だらけの手は

首を絞めることを厭わないのに

触れることさえためらう

こどものように歌ってみても きみは

泣くことも笑うこともできない

きみがつまずいてみてできた傷は

その手の傷とは似ても似つかない

夢から夢へ

そしてついには醒めた夢の中で

手にまとわりつく鈍い痛みに 恍惚を見出すとき

きみはその手で踏み出すことができるだろう

雪の降る日に

史学の意義

私は思いついたことを何でもノートに書き留める習慣がある。普段は書いてそれっきりなのだが、先日ふと思い立って2年ほど前のメモを読み返すと、「ロックは単純観念から複雑観念が原子が分子を構成するようにできていると言ったが、正確には単純観念からある程度雑に情報を切り捨ててまとめたものが複雑観念だと思う」と書いてあるのを見つけた。

この思いつきがロック理解として正確かは判断しかねるが(多分間違っている)、少なくともこのメモが意図するところには私にとって重要な見方が含まれている。それは、我々の生きる世界の具体性であり、そのどの一点をとっても比類なき唯一性を持っているということである。ここ最近このような考え方を意識していなかったことに気が付いた。

 

この頃の私は、世界を情報のスープのように捉えていた。この世界こそが最も具体的であり、あらゆるものはここから生じてくる。したがって言語に関しても、具体的世界から必要な情報を抜き出した、つまり抽象化したパッケージのような役割を与えられるに過ぎない。例えば「机の上にコーヒーカップがある」という文は、世界から細部を捨象して構成された情報ということになる。言語は、具体的世界の何物かをとりあえず意味するために用いられる道具なのである。

では、その何物かとは一体何か? さしあたりそれは、具体的世界で意味を付与されるのを待っているsomethingと呼べるだろう。このsomethingこそすべての源泉なのだから、それは我々が言語を用いると用いないとにかかわらず、厳然とあるのでなければならない。逆に言えば言語は、言語に先立つ具体的世界が措定されたのち、そのうちの何かを意味するために生じてくる。

しかし、具体的世界、意味される対象は、意味するものなくして特定されることが可能な何かであり得るのだろうか? この問いに然りと答えることは可能かもしれない。それは現象学ソシュールが進んだ道だろう。しかし少なくとも私には、それは無理のある主張のように思えた。言語が「何を意味したいのか」ということを明らかにするためには、まずもって言語がなくてはならない。このことを無視して具体的世界なるものがあるはずだと考えることは、言語を用いて思考する我々にとってはいわば越権行為なのである。

 

こうして「スープ理論」は私の中で挫折し、しばらく放置されていた。しかし最近は、世界の豊かさを示す倫理的な比喩としては、「スープ理論」は依然として意味があると考えるようになった。

ドキュメント72時間という番組がある。これはある一つの現場にカメラを据え、72時間の間にそこで繰り広げられる人間模様を観測するというNHKの番組である。対象は居酒屋や弁当屋に始まり、コインランドリー、駐輪場や離島に至るまで、多岐に渡る。毎回この対象のチョイスが絶妙で、およそ40分の間に、その場でだからこそ見られるような出来事や人々の暮らし、悩みが描き出される。

この番組を観て感じるのは、人々がまったく独自の場所で独自の人生を生き、それらは他のどの場所や人生と比べても、同一のものが存在しないということだ。どんな平凡な生活や平凡な悩みにも、そこには必ず独自の文脈があり、それゆえ魅力がある。

 

私が見ているこの自然の美しさや生きている生の素晴らしさが、言語のようなもので一体どのようにして代替されようか。そう考えたくなるのはそれほど不自然なことではない。「スープ理論」も、もとはと言えばこうした直感から得られたものだった(もとより私がいっときでもこうしたオプティミズムを獲得したのは、ある外的要因を触媒としたからなのだが、ここでそのことについて公然と言及するのは避けよう)。

また、私が見えていないと思っている世界、つまり世界の意識していない部分も、実際には見えている世界の重要な一部を形成している。例えば私が嗅いでいる街の匂いは、遠い世界のどこかで生まれた匂いとさえ無関係ではない。世界のどの一点においても、そこから最も遠い一点が微小に表象されているのである。ジャームッシュは『パターソン』でこのことを描いた。作中で登場人物に起こる出来事の一つ一つは、映像作品がしばしばテーマとする世界の危機や巨悪との戦いといった壮大なテーマに比べれば、あまりに些細なものだ。しかしそれらの出来事は、本人が気に留めると留めないとにかかわらず、彼らのその後の行動や考えに対し、それぞれの仕方で確かに影響を及ぼしている。こうして様々な出来事が極めて複雑に絡み合う中で、登場人物たちは"まれに"出会う。だからこそ、彼らは会うたびごとに違った顔を見せるのである。

したがって、自分が見えた部分であれ見えていない部分であれ、世界の比類なき一点に注目して、そこで起きたこと、起きていることを記録することには大きな価値がある。なんと言っても、すべては繋がっているのだ。史学が他の学問にない価値を持つのは、それが世界の唯一性を一歩ずつ解明する作業であるからに他ならない。史学は、過去に起きた複数の出来事に類似する構造を指摘し、未来に役立てるような学問のことを指すのではない。それはひたむきに具体的世界と向き合い、それぞれの点における個別にして唯一の神秘を明らかにする、信仰のような試みなのである。

霊感

人生において何か追い求めていたことが成就して、そのために自らの探究が中断されるということがあり得るのか? 例えばスピリチュアルに傾倒していた人が高校以来想っていた人と再び結ばれたときに、そこで彼にとって精神世界が意味を失うのはなぜなのか。

おそらく、精神世界はその人にとって真に追い求めるべきものではなかったのだろう。彼にとっては追い求めていた人こそが探究の対象であり、スピリチュアルはその虚像であったに違いない。霊感が失われたと思うとき、人は実はそれが何であったかを理解し、それを手にしているだけなのだ。

でらしね音楽企画の思い出

私はかつて様々な音楽サークルに所属していた。それは私自身の拡散した音楽への関心ゆえである。一つのコミュニティに留まることのできない私は、根無し草のように次から次へと関心の向くままにサークルを転々としていた。

そんな音楽生活の中で、ひときわ強く印象に残っているサークルがある。でらしね音楽企画という、部員10人にも満たなかった小さな団体である。

でらしねに入ったのは、大学に入学したときに高校の軽音部の先輩から勧誘を受けたためだ。私はそのときすでに別のサークルに入ることを決めていたし、でらしね自体も活発に活動していたわけではなかったから、特別何かに魅力を感じて所属を決めたわけではなかった。

しかし実際に入ってみると、私はすでにいたでらしねの先輩たちが纏う、独特の退廃的な雰囲気に惹かれた。実は彼らは、私が同時に入っていた別のサークルを辞めてでらしねに流れてきていた人たちだった。でらしねの部員が卒業していなくなったところを、彼らがいわば乗っ取っていたのだ。彼らもまた「根」を失い、暫定的に身を置いて友人たちと好き勝手できる場をでらしねに見出していたのだろう。

それゆえ私は、"本来のでらしね"を知らない。同時に入っていたサークルの先輩や、同じく「界隈」を形成していたサークル(大学にバンドサークルは無数に存在したが、演奏する音楽のおおよその趣向や部員の趣味によっていくつかの「界隈」に分けることができた。同じ「界隈」であればサークルが違えど飲みに行ったり、バンドを組んだりしていたのでそれなりに交流があった)の先輩から聞くところによると、乗っ取られる前のでらしねは音楽の趣向もやや異なり、部員の雰囲気も「カッコよかった」という。病的かつ退廃的な雰囲気がなかった、という意味かもしれない。

 


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今からおよそ12年前のでらしねによる四人囃子のカバー。このメンバーのうち何人かは、現在も現役でミュージシャンをしているらしい。

 


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Little Wing - Derek  and the Dominos

 

これらは、私の知らないでらしねである。彼らは60~70年代のロックを演奏することが多かったようだ(もっと昔はオリジナル曲が中心だったらしい)。一方で忌野清志郎の追悼ライブの動画が残っていたりもする。

 

私の知るでらしねは、端的に言えば奔放だった。彼らは自らの気の向くままにバンドを組み、ライブをし、大学近くの喫茶店You & Iに集っていた。扱う音楽も部員の好みによって様々で、80年代の日本の歌謡曲YMOをやったかと思えば、ドアーズやベルベッツをやったり、何を思ってかWham!をカバーしたタイのバンドの曲を学祭のステージで披露したりもした。

 


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ちなみにこの動画のドラマーは、私が大学で出会ったドラマーの中で一番魅力的なドラムを叩く。

 


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私は彼らが自由に遊んでいるのを、後輩として傍から眺めているという感じだった。彼らの中に入っていきたいという気持ちもなく、自分にはない破滅的な雰囲気をもった環境の近くにいることに魅力を感じていたのかもしれない。時々先輩や同級生から誘われたり、彼らを誘ったりしてバンドを組み、ライブをしたこともあったが、やりたい曲やバンドがあったというよりも、でらしねで演奏すること自体に意義を見出していたように思う。

 


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でらしねは私が代表を務めた後、自然消滅した。私はでらしねという団体ではなく、そこに所属していた人に魅力を感じていたから、団体を必要とする新入生がいないのであればなくなってしまってもいいと考えていた。この辺りは、現在代表をしているジャズ研とは対照的だ。私がジャズ研でジャズの演奏について学んだように、ジャズ研という環境を必要とする新入生はこの先も現れるから、このサークルを存続させるためには可能な限り努力する必要がある。でらしねという団体は、私が入った時点ですでにただの箱だった。どこかで「根」を失い、とりあえずの箱を必要とする人が勝手にでらしねを名乗り、好きに振る舞えば良いのである。

いまや私も卒業を控え、当然ながらでらしねを構成していた人々はすでに大学を去っている。別に記録を残す意味も無いのだが、大学生活を振り返るという目的も兼ねて、記事という形にすることを思い立った次第である。

かつての部員は、特に連絡を取るわけでもないので詳しくは知らないが、普通に就職したり、スピリチュアルに傾倒したり、漫画を描いたり、研究をしたりと、それぞれの人生を過ごしているようだ。中には個人的に親友となり、今でも連絡を取り合う仲の人もいるが、おそらくほとんどの人とは今後人生が交差することもなく生きていくのだろう。

モンクと狂気

セロニアス・モンクを聴きたくなるのはいつも、決まって狂気に犯されているときだ。

誰しもが自らの内に狂気を飼っている。狂気は人の数だけ多様な形を持って存在しているはずだが、私の場合、とりわけ強く意識されることの多い狂気がいくつかある。そのうちの一つが、自己の役割の多元性に由来するものである。

我々は通常、自分の多重的・多元的な価値関心をそれほど意識せずに生活していることが多い。それゆえ、状況に応じてその中から特定の価値を、自らを規定する唯一の要素としてその都度打ち出している。しかしながら同時に、まさにこの多重性ゆえに、心の中ではそれと相対立する価値を称揚している、ということがあり得る。そしてたとえ、そのような対立を打ち消したいがために「ああは言ったが実はこうでもあるのだ」と言い訳がましく述べたところで、それは対立の解消になんら与することはない。それぞれの価値は、それらが立脚する観点からして根本的に異なるからである。また、そのように言明された価値と相容れないような価値が再び心に浮かび上がってくることもある。我々は、自己の内に持っている様々な価値を統一することができないまま、社会において多重的な役割を引き受けているのである。かくして多くの場合、「言いたいこと」を言い尽くせぬまま、葛藤に陥ることとなる。狂気が顔を覗かせるのはこのときだ。

 

モンクの演奏は、そのような価値の多重性、狂気を体現したものと言えるであろう。特徴的であるかわいらしい旋律と拙い運指、そして強く打ち込むような音色は、子供のような純粋さをもった彼の美学を表現したものに違いない。≪Solo Monk≫収録の「I'm Confessin'(Take1)」などはその最たる例と言える。しかし一方で、こうした純粋さにあえて陰りをもたらすような、極めて独特な和音の響かせ方も、彼の演奏に不可欠な要素である。相対立するような美が一つの演奏の中に織り交ぜられているところに、モンクの魅力がある。

なぜモンクはこのような演奏スタイルを選択したのか? 私見では、彼はこうしたスタイルを選択せざるを得なかった。彼の引き受けている価値の多元性と、それに引き裂かれそうな自己の葛藤をそのまま表現することこそが、モンクにとって最大の美だったからである。

モンクが子供らしい「かわいさ」にある種の執念を持っていたことは、私には明らかだ。しかし、これを弾いている彼は現に子供ではない。どれだけ子供らしさを美しいと思っても、実際に子供になれるわけではないのである。そもそもそのような「子供らしさ」とは、大人が作り出したものではないだろうか。子供が大人よりも遥かに残虐な存在であることは、子供を経験した者なら誰もが知っていることだ。

こうした子供らしさという美と相対立する自らの役割が、刺すような、どこか恐ろしい和音を彼に打ち込ませるのである。あの子供らしい旋律は、音が発せられた瞬間から、すべて嘘であるかもしれないという疑念をもって彼に襲い掛かる。彼の一つの美を打ち消すような、別の観点に依拠する美を体現しているのが、あの和音なのだ。矛盾した二つの美が併存しているところにこそ彼の葛藤が表現されているのであり、この点こそ彼の演奏の魅力の本質なのである。

モンクの演奏は、彼が言い尽くせない二つの美的価値を言おうと苦闘して生まれたものなのではないか。その意味で、彼の演奏は彼の狂気の表現なのである。だからこそ、私のもとに狂気が現れ出てきたときにモンクを聴くことは、私にとって大きな意味を持つ。それはなんら私の葛藤を解決してくれるものではない。しかし類いまれなる才能と繊細さをもって表現された彼の狂気は、ただひたすらに私の狂気に寄り添ってくれるのだ。

 

ただ一つ、モンクの難点を挙げるのであれば、あまりにあざとすぎると言い得ることだろう。狂気が狂気である所以は、多重的な価値が言い尽くせないという事実にある。そうであればその事実は、言い尽くされないということによって表現されなければならない。それにもかかわらず、彼の狂気は、その才能をもって演奏の中に十全に表現されてしまっている。彼は相対立する二つの美のみならず、それらによって生じた葛藤をも演奏のうちに込めている。彼はまさにその才能によって自らの葛藤を殺してしまっているのである。それは差し当たり、スクリーンに写され平面的に加工された葛藤と言うべきものだ。

モンクはこのことを、痛いほど理解していたのかもしれない。彼の美が立脚する多重的な価値の矛盾的関係が生み出す狂気は、その葛藤までが演奏の内に込められてしまっては、もはや解消されてしまう。葛藤を生んだ狂気は、葛藤の表現を前にしては、醒めるほかないのである。だからこそ先の「I'm Confessin'(Take1)」の最後のテーマは、子供らしさも鋭い和音ももはや失われ、穏やかに歌われなければならなかったのではないだろうか。

 

最晩年のモンクの演奏には、狂気がもたらす霊力は失われてしまっているように感じる。その理由は定かではないが、この時期彼が双極性障害と診断されたことと無関係ではないのかもしれない。病は快癒してこそ、芸術に意味をもたらす。病の只中にいる者は、自らの内に存在する多元的な価値を見失い、特定の観点に縛られることになる。それゆえ双極性障害は、彼から狂気を失わせるものだったのではないだろうか。とはいえ私はそれが不幸なことであったとは言わない。病を患った彼にとっては、その病から見える一元的な価値を表現することが、彼にとっての芸術だったのであろうからである。