でらしね音楽企画の思い出

私はかつて様々な音楽サークルに所属していた。それは私自身の拡散した音楽への関心ゆえである。一つのコミュニティに留まることのできない私は、根無し草のように次から次へと関心の向くままにサークルを転々としていた。

そんな音楽生活の中で、ひときわ強く印象に残っているサークルがある。でらしね音楽企画という、部員10人にも満たなかった小さな団体である。

でらしねに入ったのは、大学に入学したときに高校の軽音部の先輩から勧誘を受けたためだ。私はそのときすでに別のサークルに入ることを決めていたし、でらしね自体も活発に活動していたわけではなかったから、特別何かに魅力を感じて所属を決めたわけではなかった。

しかし実際に入ってみると、私はすでにいたでらしねの先輩たちが纏う、独特の退廃的な雰囲気に惹かれた。実は彼らは、私が同時に入っていた別のサークルを辞めてでらしねに流れてきていた人たちだった。でらしねの部員が卒業していなくなったところを、彼らがいわば乗っ取っていたのだ。彼らもまた「根」を失い、暫定的に身を置いて友人たちと好き勝手できる場をでらしねに見出していたのだろう。

それゆえ私は、"本来のでらしね"を知らない。同時に入っていたサークルの先輩や、同じく「界隈」を形成していたサークル(大学にバンドサークルは無数に存在したが、演奏する音楽のおおよその趣向や部員の趣味によっていくつかの「界隈」に分けることができた。同じ「界隈」であればサークルが違えど飲みに行ったり、バンドを組んだりしていたのでそれなりに交流があった)の先輩から聞くところによると、乗っ取られる前のでらしねは音楽の趣向もやや異なり、部員の雰囲気も「カッコよかった」という。病的かつ退廃的な雰囲気がなかった、という意味かもしれない。

 


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今からおよそ12年前のでらしねによる四人囃子のカバー。このメンバーのうち何人かは、現在も現役でミュージシャンをしているらしい。

 


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Little Wing - Derek  and the Dominos

 

これらは、私の知らないでらしねである。彼らは60~70年代のロックを演奏することが多かったようだ(もっと昔はオリジナル曲が中心だったらしい)。一方で忌野清志郎の追悼ライブの動画が残っていたりもする。

 

私の知るでらしねは、端的に言えば奔放だった。彼らは自らの気の向くままにバンドを組み、ライブをし、大学近くの喫茶店You & Iに集っていた。扱う音楽も部員の好みによって様々で、80年代の日本の歌謡曲YMOをやったかと思えば、ドアーズやベルベッツをやったり、何を思ってかWham!をカバーしたタイのバンドの曲を学祭のステージで披露したりもした。

 


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ちなみにこの動画のドラマーは、私が大学で出会ったドラマーの中で一番魅力的なドラムを叩く。

 


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私は彼らが自由に遊んでいるのを、後輩として傍から眺めているという感じだった。彼らの中に入っていきたいという気持ちもなく、自分にはない破滅的な雰囲気をもった環境の近くにいることに魅力を感じていたのかもしれない。時々先輩や同級生から誘われたり、彼らを誘ったりしてバンドを組み、ライブをしたこともあったが、やりたい曲やバンドがあったというよりも、でらしねで演奏すること自体に意義を見出していたように思う。

 


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でらしねは私が代表を務めた後、自然消滅した。私はでらしねという団体ではなく、そこに所属していた人に魅力を感じていたから、団体を必要とする新入生がいないのであればなくなってしまってもいいと考えていた。この辺りは、現在代表をしているジャズ研とは対照的だ。私がジャズ研でジャズの演奏について学んだように、ジャズ研という環境を必要とする新入生はこの先も現れるから、このサークルを存続させるためには可能な限り努力する必要がある。でらしねという団体は、私が入った時点ですでにただの箱だった。どこかで「根」を失い、とりあえずの箱を必要とする人が勝手にでらしねを名乗り、好きに振る舞えば良いのである。

いまや私も卒業を控え、当然ながらでらしねを構成していた人々はすでに大学を去っている。別に記録を残す意味も無いのだが、大学生活を振り返るという目的も兼ねて、記事という形にすることを思い立った次第である。

かつての部員は、特に連絡を取るわけでもないので詳しくは知らないが、普通に就職したり、スピリチュアルに傾倒したり、漫画を描いたり、研究をしたりと、それぞれの人生を過ごしているようだ。中には個人的に親友となり、今でも連絡を取り合う仲の人もいるが、おそらくほとんどの人とは今後人生が交差することもなく生きていくのだろう。