社会契約論についてのノート

 近代ヨーロッパ政治理論における社会契約論の意義は多様であるが、こと哲学的意義に関して言えば、自由な個人を根拠としてどのように政治的権力が正当化されうるかという問いに正面から取り組んだという点は、とりわけ大きな位置を占めるものである。

 近代以前の政治理論において、政治社会の成立の起源は神や自然、あるいは歴史や伝統に深く依拠していた。例えば、アリストテレスは奴隷の支配やギリシア人の民族的優位を自然のものと考えたし、中世においても、個人は非自律的な「臣民」として神の権威を頂点に据える垂直的階層構造に組み込まれた。また、マグナ・カルタに代表される封建制的支配についても、契約に基づいて権力の正当化を図ったという意味では近代との連続性を持つものではあるが、その根拠は伝統に求められた。これらの政治理論において、政治社会の源泉となる神や伝統は、所与のものとして不問に処されていたのである。

 上のような政治理論に対し、ホッブスに端を発する社会契約論は、国家や政治社会の成立について、自然的所与を前提としない合理的説明を追求した。その時代背景には「近代」の様々な事情が挙げられるが、中でも科学の勃興は強い影響力を持っていた。ホッブスは、同時代のデカルトなどに感化されつつ、どのような知識が機械論的自然観に基づいて正当化できるのかを探求し、国家についても、その哲学的合理的基礎を構築することを画策したのである。

 ホッブスの人間観は、相対主義的なものであった。人間にとっての価値は主観的なものでしかありえず、人間は将来におけるそれぞれの生存のための価値を追求して衝突し合い、競争し続ける機械的な存在とみなされたのである。したがってホッブスによれば、国家の存在しない自然状態において、人間は常に競争に晒され、殺されるリスクを負わざるを得ない。こうして人間は、他者に対する力を求めるなかで、不可避的に戦争状態に陥ることになる。

 したがってホッブスにとって、戦争状態を避けること、すなわち個人が死の恐怖から逃れることが、国家成立の第一の目的となる。そのためにホッブスは、まず、自己保存のためなら何をしてもよいという自然状態における自然権を、各人が一斉に放棄し、政治権力を行使する主権者へ移譲しなければならないと述べる。主権者は自然人としての個人によって創造され、個人の一方的授権によって、多数の意志を合一し代表する存在となる。一方で、個人は一度主権者に権利を委譲すれば、主権者の定める法律や命令に服従しなければならない。臣民に抵抗権という例外を認めれば、上に述べた国家成立のプロセスが無意味になり、死の恐怖が付きまとう自然状態に回帰せざるを得ないためである。

 しかしながら、ホッブスは同時に、国家成立の動機はあくまで戦争状態から逃れ、生命を維持することにあるのであるから、臣民は自己保存を脅かす命令(死刑や殉死など)に際してそれに従わない自由があるとした。国家以前の根源的自由を認めたという意味で、ホッブスの自由観は共和主義的自由観と対立するものと言える。ところが、そうであるならば、ホッブスは実質的に臣民の抵抗権を認めていると解釈できることになってしまう。抵抗権を巡るこうした矛盾からは、そもそも自然状態=戦争状態から確実に遵守される契約がどのように生まれ得るのかという疑問も導かれる。さらに、死を目の前にして兵士が逃亡することを許すなら、軍隊はそもそも成立せず、危機の際に国家を維持することが不可能になってしまう。ホッブスの野心的な政治理論は、同時にこのような国家の根幹に関わるジレンマを抱えるものであった。かかる撞着を、後の時代の思想家は乗り越えることができたのだろうか。

 ホッブスより40年ほど後の時代に生まれたロックも、社会契約論によって政治社会の合理的基礎付けを試みた人物であった。しかし、ロックの社会契約論は、ホッブスのそれとは様々な点で異なる。

 まず、ロックは自然状態を戦争が不可避な状態とは考えなかった。彼にとって人間とは神の所有物であり、それゆえこれに危害を加えたり、奴隷化することは、神によって与えられた自然法に反するものであった。したがって、自然状態においても、個人は基本的に平和に生きることができる。それでもロックが国家の必要を説いたのは、個人に与えられている自然法の執行権、すなわち処罰権をめぐり、個人の間でしばしば対立が生じるためである(各個人が自然法の執行権を与えられているのは、単にそうでなければ自然状態における自然法の実行力が失われるからである)。ロックにとって国家の基本的機能は、公正な裁判によって個人同士の衝突を調停する司法なのである。

 しかしロックは、絶対王政に対する懸念から、裁判官さえ存在すれば国家が成立すると考えたわけではない。神の所有物として不可侵な個人は、絶対的で恣意的な権力から自由でなければならない。社会契約は、政治社会が絶対王政に陥ることを防ぎ、公共善を保全するためにも結ばれるのである。この意味で、ロックの自由観は共和主義的自由観と共鳴している。権力分立や奢侈の危険性に注意を払ったのも、このためである。

 そして、このようなロックの社会契約論に究極の権利として認められているのが、人民の抵抗権である。絶対王政における暴君の存在は、人民の不可侵な自然権を侵害するものであるが、これは命を奪う意図が時間的幅をもって存在していることになるから、ロックにとっては戦争状態を意味する。そのような状態を招く暴君は、神と全人類に対する反逆者であり、それゆえ人民は彼を殺害することで戦争状態を脱しなければならないのである。ここで、人民によって政府が解体されても、直ちに政治社会が消滅し、自然状態へ戻るわけではない。ロックの理論においては、ホッブスと異なり、個人と政府が直接に契約を結ぶわけではない。そうではなく、個人が社会契約によって共同体(principal)に対し一方的に授権した後、共同体が政府(agent)と相互的な統治契約を結び、自然権を信託する形を取る。共同体は、時間をかけて形成されたものとして一般的な保守性を持つため、政府の解体と共に崩れ去るようなことはないのである。そもそも、ロックの考える自然状態は戦争状態にはないため、人民の抵抗に対する懸念はホッブスのそれよりもはるかに小さいはずである。

 すでに明らかなように、ロックの社会契約論には、ホッブスの直面したジレンマが存在しない。その理由は主に、ロックの自然状態がホッブスの想定するものと大きく異なることと、抵抗権を認めたことにある。そうして構築された理論は、たしかに政治社会の成立について自然的所与に依拠しない合理的説明を可能にしているかもしれない。しかし、その演繹的な理論は、実際の政治社会に普遍的に適用可能なものと言えるだろうか。例えば、平和な自然状態はどの社会にも等しく存在するのか。社会契約論の野心に疑問を呈した思想家として、ヒュームとモンテスキューが挙げられる。

 ヒュームは、社会契約論は哲学的には合理的だが、歴史的には不合理であると述べた。彼によれば、人間は情念の束であり、道徳は理性よりも情念によって基礎づけられる。道徳は人間が本来的に持つ自然的徳(愛情、憐れみなど)と、社会的生活の中で習得される人為的徳(正義、誠実など)に分類される。このうち人為的徳は、人間が欲求を満たすために共同生活をする中で自然と得られる公共的利益の感覚であり、ここから財の保有や移転、約束の履行という自然法、秩序が生じるのである。したがって、ヒュームの政治理論は社会契約のような明示的契機を必要としない。ヒュームにとって政治理論は経験的な推論によって知られ、権力の正当性はあくまで慣習を支える世論の支持によって裏付けられると考えられたのである。

 モンテスキューも、人間の経験の固有性・多様性を重視し、社会契約論に懐疑的な目を向けた。彼は、自然状態は争いが絶えないというホッブス的な立場から、いかなる政治社会においても人定法が必要であると述べる。しかし、その具体的な内容は、各々の人間や政治社会を取り巻く環境によってそれぞれ異なると考えた。そして、そのような個別具体的な経験や環境から、恒常的な秩序が帰納的内在的に発生してくるのである。モンテスキューはこれを一般精神と名付け、善き法は一般精神に一致する形で制定され、法の側から一般精神に働きかけ変化を促すべきではないとした。したがって、法の制定・執行を担う政府の権力を制限することは、ロック同様、彼にとって重要な問題であった。権力分立を重視したのも、こうした問題意識による。そして、各人の政治的自由は、これらの条件を満たした健全な法によってはじめて保障されると考え、これを最も維持しやすい中規模の君主制国家を高く評価したのである。

 これら二人の思想家の理論は、説得力のあるものではあるが、冒頭に述べた社会契約論の意義を根底から突き崩すほどの強力な反論を展開しているとは言い難い。ヒュームの言う秩序は、人間の道徳なくしては成立し得ないものであり、モンテスキューにとっての法律も、一般精神やその源泉としての環境を前提としなければならないものだからである。しかし、そうであるならば、ホッブスやロックの提示したそれぞれの自然状態がなぜそのような形を取るのかということに対しても、疑問が投げかけられなければならない。彼らの理論は、たしかに自由な個人から政治社会が成立する合理的なプロセスを描いたが、その前提となる自然状態の認識については、当時の社会状況やキリスト教の規範が多分に関係していたのである。

 先人たちの自然状態論に対する異議から出発し、社会契約論を唱えたのが、ルソーである。彼はとりわけホッブスの自然状態論に対し、戦争が不可避な状態は文明社会の発達によって後天的に与えられた歴史的要素であり、それゆえ人間の原初的な本性とは異なるとして批判を加える。そして、あらゆる人為的要素を排除した「未開人」を仮定し、これを人間の自然状態であるとする。「未開人」は社交性を持たず、単体で自足し、動物と同様に自然的感情としての憐れみをもって生活するとされる。しかし人間は、同時に、こうした本性から逸脱するものとして物事を選択する自由意志と、物事を改善する自己完成能力を備えている。やがて人間が自然的必要から共同生活を始めると、これらの能力によって自己を他者と比較し、他者に対する優越を次第に求めるようになるのである。その結果生じる所有権や分業制は、富者と貧者の対立を生み、もはや憐れみが機能しない戦争状態を招くことになる。そのような状況において富者によって提示される社会契約は、結局のところ社会の不平等を固定化し、秩序への隷属を助長するものに過ぎないのである。

 人間に特有の性質を自然のままに放置しておけば、戦争状態は不可避となる。文明社会が招くかかる問題に対し、ルソーは人間をいかに隷属から解放し、自由を回復することができるかを考えた。そのためにまず、個人の自然権を完全に譲渡し、個人の人格と完全に一致する存在としての共同体を形成することが必要であるとした。共同体の人為的人格の意志は一般意志と呼ばれ、これに対して個人の自然的人格の意志は特殊意志と呼ばれた。特殊意志は常に一般意志と一致するわけではないが、一般意志が自由の追求という本来の目的のために創造される以上、特殊意志はこれに強制的に服従しなければならない。そうして一般意志と特殊意志が同一のものとなることで、人民は道徳性を獲得することができる。そして、最終的には他者も含めた共通善についての一般的観点と、それを追求する公的義務感を獲得するに至る。このように、一般意志には自然法のような超越的規範を持ち出すことなく、何が善であるかを規定できる仕組みが備わっているのである。ルソーは、こうして人民の自由を回復する理想国家の建設が可能になると説いた。

 かくて、ルソーの構想した社会契約から個人の自由を回復するまでの理路が明らかとなった。彼の理論は、ホッブスやロックよりもさらに進んで、あらゆる自然的所与の要素を排除しようと試み、その哲学的意義を先鋭化させたものであった。

 むろん、だからといって必ずしもルソーの理論がホッブスやロックの理論より優れていると言えるわけではない。例えば、ルソーが一般意志の存在を自明視し過ぎている側面があることは否めない。

 

全体意志と一般意志のあいだには、時にはかなり相違があるものである。後者は、共通の利益だけをこころがける。前者は、私の利益をこころがける。それは、特殊意志の総和であるにすぎない。しかし、これらの特殊意志から、相殺しあう過不足をのぞくと、相違の総和として、一般意志がのこることになる。…

人民が十分に情報をもって審議するとき、もし市民がお互いに意志を少しも伝えあわないなら〔徒党をくむなどのことがなければ〕、わずかの相違がたくさん集って、つねに一般意志が結集し、その決議はつねに良いものであるだろう(『社会契約論』岩波文庫、1954年、47頁)。

 

ルソーは、特殊意志から一般意志を形成する過程を「審議」という言葉を用いて説明しているが、ここで一般意志はあくまで特殊意志の過不足を相殺すれば自動的に導かれるとされ、現代における熟議デモクラシーのように、議論を経て新たな政治的観点が創造されるようなことが想定されていないのは明らかである。ルソーの「審議」において人民に求められているのは、兎にも角にも個人としての意志を十全に表明することのみである。このことは、以下の記述からも読み取れる。

 

意志を一般的なものにするのは、投票の数よりもむしろ、投票を一致させる共通の利害であることが、理解されなければならない(同上、51頁)。

 

一般意志が、実際の政治的決断や法制化に際して分裂や衝突なく自然と収斂するかは、大いに疑問である。例えば、疫病や対外的な危機からの安全のために我々の自由がどれほど制限されるべきかについて、熟議や闘争なしに自ずと導き出される解など、果たしてあり得るだろうか。

 しかし、このことを踏まえても、ホッブスに始まり、ルソーにおいてひとまず哲学的完成を見た社会契約論の意義は、計り知れないものである。それは、近代以前において自明の前提と考えられていた神や伝統といった権威に頼ることなく、自由な個人からいかにして自由な政治社会が成立するかについて合理的な説明・基礎づけを行うという画期的な試みであり、現在まで脈々と続く政治哲学の土台の大きな一部を構成するものである。