切実さ

演劇は切実に演じようとするほど切実ではなくなっていく。だから素晴らしい演技はしばしば無表情であったりする。ロベール・ブレッソンはこのことに少なくとも気が付いてはいた。

詩についても同じことが言える。自らの意識とか感性とかいうものをリアルに表現するために巧みな言葉を尽くせば尽くすほど、その言葉は切実さを失うことになる。

しかし切実さをめぐるこの問題は、表現することそれ自体に起因する。したがって詩や演劇は必ずこの問題を孕むことになる。だから"切実な"演技や"切実な"言葉を削ぎ落したからといって、それが回避できるわけではないのだ。