自然

自然の愛と怖さはまったく同じであるように思えるのはなぜなのか?

ふとした瞬間に自然を感じる。今聴いていたJamesのピアノやトライアングルなどがそうで、どうしようもないほどの生命力が一瞬感じられ、それが怖いのか愛おしいのかわからない。本物の自然についても同じことが起こる。いや、本物の自然は明らかに愛を向けてくることが多いが、芸術に潜む自然はそうではない。

芸術にある自然の恐怖は、意図的に盛り込むことはおそらく不可能なのだろう。それは恍惚にも近い神秘の中に、作り手の制御を超えてふと顔を出すものであるからだ。本物の自然は基本的にそのようなパワーを向けてこないが、芸術の天才はそれを感受し、あまつさえ発現させてしまうのである。だからこそ我々は自然の恐怖の面を感じられるのだと思う。

そうであるとすれば疑問になるのはやはり、なぜあるときには愛が現れ、またあるときには恐怖が現れるのか、ということになる。別に理由が必要だとも思わないが。